諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
Conton Candy
急行券とリズム
について哲学的に考察していく。
- Conton Candy「急行券とリズム」MV
- 急行券とリズムの歌詞
- 序論 境界を超える存在論
- 第1章 「走る」と「泣く」:変容の契機としての身体性
- 第2章 「東京」と「君」:都市の無常性と関係性の救済
- 第3章 「ものさし」の消失:評価基準の再構築
- 第4章 中毒性の朝と「急行券」:時間の循環と旅
- 結論 再会を信じる存在
Conton Candy「急行券とリズム」MV
急行券とリズムの歌詞
思いっきり走ったら
何か変わるような気がした
思いっきり泣いたら
全部分かってくれる気がした
愛のない言葉も嫌いだった
あの人のことも君が笑えば
全部なかったことだよ
嘘だらけのこの心で
揺れる意味なんてないの
ここは”東京”
君と見たいしたいが
たくさんあるの
そこで待ってて
中毒性の香りが立ち込めた朝
境界線のない想い胸にしまって
乱暴に使われたものさし
でも行くこの街へ
弱かった私のことを
救ってくれた日を
きっとこの先、
忘れることはないだろう
急行券とリズムで
この街をぐるっと1周回ったなら
きっとまたすぐに君の元へ
全部知って
会いに行ける気がしている
中毒性の香りが立ち込めた朝
もう何も知らないと笑っていて
乱暴に使われたものさしは
もういらない いらないね
急行券とリズムであの街へ
序論 境界を超える存在論
この歌詞に潜むテーマは、
個人が「東京」という都市において
自己を見つけ直し、
他者との関係を築き直そうとする試みである。
境界を超えてゆくその運動には、
古典的な存在論的問いがある。
「私は誰か、そしてこの世界でどこへ向かうのか?」
歌詞に描かれる感情の起伏と旅路は、
まるで哲学的な探求のメタファーであり、
都市という迷宮における個の再発見を描いている。
第1章 「走る」と「泣く」:変容の契機としての身体性
「思いっきり泣いたら、
全部分かってくれる気がした」という一節は、
「カタルシス(浄化)」の
概念を思わせる。
彼にとって、
感情の発露は観る者や
体験する者を浄化し、
新たな理解をもたらす。
涙を流す行為は、過去の傷を洗い流し、
新しい視点を生み出す再生の儀式である。
「思いっきり走ったら何か変わる」
という行為は、
彼は、生とはただ受け身ではなく、
自己を超えようとする
積極的な意思であると説いた。
走ることは、現状に抗いながら
変容を求める意志の表れであり、
自己超克の道筋である。
第2章 「東京」と「君」:都市の無常性と関係性の救済
1. 「東京」という迷宮 – サルトルの実存的不安
「ここは“東京”」というフレーズは、
都市生活の無常性を示唆する。
都市の中で自己を見失う人間の不安を語った。
人は無限の選択肢に囲まれながらも、
方向を見失い、存在不安に苛まれる。
「君」という存在は、
その不安の中で拠り所となる存在であり、
自己と他者の関係が都市の中で救済的に作用する。
2. 他者の微笑み – レヴィナスと「顔」の倫理
「君が笑えば全部なかったことだよ」
という言葉は、
「顔」の倫理を思わせる。
他者の顔は、
自己の存在に訴えかけ、
倫理的責任を促す。
君の微笑みは、
過去の痛みや嘘を超越させ、
関係性に新たな意味をもたらす。
第3章 「ものさし」の消失:評価基準の再構築
1. 他者の尺度からの解放 – フーコーの規範批判
「乱暴に使われた
ものさしはもういらない」という一節は、
フーコーの規範批判と共鳴する。
彼は社会における権力構造が
個人を規範に従わせ、
評価することを批判した。
ものさしの放棄は、
他者の基準からの解放を象徴し、
自分自身の価値を自ら決定する自由の表れである。
2. 自由と選択 – サルトルの自由と責任
「もう何も知らないと笑っていて」
という態度は、
サルトルの「自由と責任」の概念と符合する。
人間は常に選択する自由を持ち、
その自由の重さを引き受けなければならない。
「知らない」と笑うことは、
過去の重荷を放棄し、
今ここでの自由を享受する態度である。
第4章 中毒性の朝と「急行券」:時間の循環と旅
「急行券とリズムでこの街を
ぐるっと1周回ったなら」
というフレーズには、
人生のあらゆる瞬間が何度も
繰り返されるとしたとき、
その瞬間をいかに肯定するかが問われる。
都市を巡る旅は、
過去と未来を循環しながら、
自己の肯定を探る営みである。
2. リズムと意味の生成 – アンリ・ルフェーヴルのリズム分析
「リズム」という概念は、
ルフェーヴルのリズム分析の理論と響き合う。
彼は日常のリズムが、
時間の中で意味を生成することを論じた。
旅とリズムが交わる瞬間は、
単なる移動ではなく、
意味の再創造が行われる場である。
結論 再会を信じる存在
「全部知って会いに行ける気がしている」
という言葉は、
未来における再会への希望を象徴する。
人間が常に未来を見据えた
存在であることを説いた。
再会を信じることは、
未来への開かれた態度であり、
存在そのものを肯定する姿勢である。
Conton Candyの
「急行券とリズム」は、
都市の中で揺れ動く自己と他者の関係を
巡る旅路を描き、
その背後には深い哲学的洞察が潜んでいる。
この歌詞が示すように、
我々は「急行券」と「リズム」という
日常的な旅を通じて、
自己の変容と再発見を続けてゆく存在である。
※すべてはメロディウスの趣味内での解釈となっておりますのでご了承ください。