諸君、ごきげんよう。
我は音楽を哲学的に考え思考する
メロディウスである。
今回は
Watson
ロクデナシ
について哲学的に考察していく。
- Watson「ロクデナシ」MV
- ロクデナシの歌詞
- 第1章 「痛い」という感覚の哲学的意義
- 第2章 家庭と社会の対立と調和
- 第3章 現代社会の矛盾と倫理的選択
- 結論 痛みと葛藤から生まれる自己表現の価値
Watson「ロクデナシ」MV
ロクデナシの歌詞
痛いだけど入れてるもんもん
おれの孫の代までもボンボン
昔オカンにキレていた
部屋、勝手に開けるな
しろよコンコン
高速道路で巻いてる車内
法律破ってるけれどしゃーない
ラップのおかげ
溶け込めてる社会
ベンゾーにつけとるエアロ社外
腹立つママなら心配性
すぐ切れちゃう俺は忍耐力
ないのに続いてる3日以上
客は入れなくなるよ小ちゃいと
デコにできたニキビ理由は
現場のヘルメット
それだけは確実だ
もうコロナ
そんなにやばくないのに
挟みたくたいないよな
遠めのアクリル板
なるの怖いな過去の栄光
YouTubeを見てした瞑想
電気止まって溶けた冷凍庫
死ななくて良かったよした成功
痛いだけど入れてるもんもん
おれの孫の代までもボンボン
昔オカンにキレていた
部屋、勝手に開けるな
しろよコンコン
高速道路で巻いてる車内
法律破ってるけれどしゃーない
ラップのおかげ溶け込めてる社会
ベンゾーにつけとるエアロ社外
水気厳禁なマイクに俺は
唾を飛ばしているjobこれだ
コース料理と食べたい米が
全部金だと見にくい時計は
寒くなった田舎でも閉める鍵
次の夢も叶える言うてる間に
正直薬物やめれないよ
めくれるから言わないよはったり
リリック書いたら心が癒えた
ダイヤのチェーンを
つけれた見てだ
徳島生まれではってる見栄だ
軽く言っちゃう友達に死ねだ
痛いだけど入れてるもんもん
おれの孫の代までもボンボン
昔オカンにキレていた
部屋、勝手に開けるな
しろよコンコン
高速道路で巻いてる車内
法律破ってるけれどしゃーない
ラップのおかげ溶け込めてる社会
ベンゾーにつけとるエアロ社外
第1章 「痛い」という感覚の哲学的意義
少年
「『痛いだけど入れてるもんもん』
って、この歌詞の冒頭から強烈だね。
痛みって、何かを感じ取る力の象徴なのかな。
それとも単なる苦しみなの?」
メロディウス
「面白い視点だね、少年。
痛みは一見ネガティブな感覚に思えるが、
哲学的には自己の存在を
意識させる重要な感覚だ。
フランスの哲学者メルロ=ポンティは、
身体の感覚が私たちの世界への
窓であると説いた。
『痛い』という言葉が冒頭に置かれることで、
この歌詞の語り手が自分の存在を
強く感じ取っていることがわかる。
しかし、続く
『入れてるもんもん』が示すのは、
痛みを抑えつつ自分の選択を
貫こうとする矛盾した姿勢だろう。」
少年
「でも、それって不自由じゃない?
痛みがあるのに、それでも何かを
『入れる』って、
自分を縛っているようにも見えるよ。」
メロディウス
「そこには
自由と責任のテーマが潜んでいる。
実存主義では、
人間は選択の自由を持つが、
その選択に伴う責任も避けられない。
この歌詞の語り手も、
何かしらの価値観や
欲望に従って選択しているが、
その選択が痛みを伴うことを
受け入れているのだろう。」
第2章 家庭と社会の対立と調和
少年
「次の部分で
『昔オカンにキレていた/
部屋、勝手に開けるな』ってあるけど、
ここは親子関係の葛藤だよね。
だけど、それって今の自分を
作るきっかけだったのかな。」
メロディウス
「家庭の中での葛藤は、
人間の人格形成に大きな影響を与える。
この歌詞の中で
『オカン』という存在は、
語り手にとって規律や干渉の象徴だ。
ドイツの哲学者ヘーゲルは、
家庭を個人の自由と社会の規律が
初めて出会う場と考えた。
部屋を勝手に開けられるという行為が、
個人の領域への侵害だと感じられるのも、
こうした葛藤の現れだ。」
少年
「でも、その後で
『ラップのおかげ/溶け込めてる社会』ってある。
家庭では不自由を感じていたけど、
ラップが自由を見つける
手段になったのかもね。」
メロディウス
「その通りだ、少年。
アートや表現は、個人が自分を解放し、
社会に溶け込む手段となり得る。
ラップは語り手にとって
自己表現の場であり、
同時に他者とのつながりを
作る手段でもある。
アリストテレスの言葉を借りれば、
人間は『ポリス的動物』、
すなわち社会の中で生きる存在だ。
ラップを通じて、
自分の声を社会に響かせることで、
語り手は孤独を超えていく。」
第3章 現代社会の矛盾と倫理的選択
少年
「それでも、歌詞には
『法律破ってるけれどしゃーない』とか、
社会的に問題がある行為も
含まれているよね。
これは倫理的にどう解釈すればいいの?」
メロディウス
「良い問いだ。
ここでは語り手が
社会の規範と個人の欲望との間で
葛藤していることがわかる。
ドイツの哲学者カントは、
人間の行為は普遍的な道徳法則に
従うべきだと主張したが、
語り手はその枠を超えた行動を選んでいる。
彼の行動は一見矛盾しているが、
それは現代社会の価値観が
必ずしも一貫していないことを
反映しているとも言える。」
少年
「つまり、この矛盾そのものが
社会の縮図なんだね。
語り手の選択は、
自分だけの問題じゃないのかも。」
メロディウス
「その通りだ。
社会には法や倫理が存在する一方で、
人間の欲望や創造性を
完全に抑え込むことはできない。
語り手の行動は、
その境界線を問い直す挑戦でもある。
特に、『ラップのおかげ溶け込めてる社会』
というフレーズは、
彼が社会の中で自分の居場所を
模索していることを示している。」
結論 痛みと葛藤から生まれる自己表現の価値
少年
「結局、この歌詞の語り手は
何を伝えたいのかな?」
メロディウス
「この歌詞は、
痛み、葛藤、矛盾といった
人間の本質的な問題を
正面から描き出している。
そして、それらを単なる苦しみとして
終わらせるのではなく、
自己表現として昇華させているのだ。
語り手にとってラップは、
個人の自由を見つけ出し、
社会と調和するための道具なのだろう。」
少年
「痛みや矛盾を抱えながらも、
それを表現に変える力があるってことか。
なんだか、少し勇気が湧いてきたよ。」
メロディウス
「そうだ、少年。
哲学とは、こうした苦しみや疑問に向き合い、
その中から新しい価値を見出す営みだ。
この歌詞は、
それを体現している一つの形と言えるだろう。」
少年
「ありがとう、メロディウス。
ぼくも、自分の痛みや葛藤を表現してみようかな。」