音楽に哲学を

~日本のみならず国境を超えた音楽哲学がそこに~

【歌詞考察】Watson(ワトソン)/ロクデナシ この曲の意味とは?ビートが低音と韻がキレキレの音楽を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

Watson
ロクデナシ

について哲学的に考察していく。



 

Watson「ロクデナシ」MV

www.youtube.com


ロクデナシの歌詞

痛いだけど入れてるもんもん
おれの孫の代までもボンボン
昔オカンにキレていた
部屋、勝手に開けるな
しろよコンコン
高速道路で巻いてる車内
法律破ってるけれどしゃーない
ラップのおかげ
溶け込めてる社会
ベンゾーにつけとるエアロ社外
腹立つママなら心配性
すぐ切れちゃう俺は忍耐力
ないのに続いてる3日以上
客は入れなくなるよ小ちゃいと
デコにできたニキビ理由は
現場のヘルメット
それだけは確実だ
もうコロナ
そんなにやばくないのに
挟みたくたいないよな
遠めのアクリル板
なるの怖いな過去の栄光
YouTubeを見てした瞑想
電気止まって溶けた冷凍庫
死ななくて良かったよした成功
痛いだけど入れてるもんもん
おれの孫の代までもボンボン
昔オカンにキレていた
部屋、勝手に開けるな
しろよコンコン
高速道路で巻いてる車内
法律破ってるけれどしゃーない
ラップのおかげ溶け込めてる社会
ベンゾーにつけとるエアロ社外
水気厳禁なマイクに俺は
唾を飛ばしているjobこれだ
コース料理と食べたい米が
全部金だと見にくい時計は
寒くなった田舎でも閉める鍵
次の夢も叶える言うてる間に
正直薬物やめれないよ
めくれるから言わないよはったり
リリック書いたら心が癒えた
ダイヤのチェーンを
つけれた見てだ
徳島生まれではってる見栄だ
軽く言っちゃう友達に死ねだ
痛いだけど入れてるもんもん
おれの孫の代までもボンボン
昔オカンにキレていた
部屋、勝手に開けるな
しろよコンコン
高速道路で巻いてる車内
法律破ってるけれどしゃーない
ラップのおかげ溶け込めてる社会
ベンゾーにつけとるエアロ社外


第1章 「痛い」という感覚の哲学的意義

少年
「『痛いだけど入れてるもんもん』

って、この歌詞の冒頭から強烈だね。

 

痛みって、何かを感じ取る力の象徴なのかな。

 

それとも単なる苦しみなの?」

 

メロディウス
「面白い視点だね、少年。

痛みは一見ネガティブな感覚に思えるが、

哲学的には自己の存在を

意識させる重要な感覚だ。

 

フランスの哲学者メルロ=ポンティは、

身体の感覚が私たちの世界への

窓であると説いた。

 

『痛い』という言葉が冒頭に置かれることで、

この歌詞の語り手が自分の存在を

強く感じ取っていることがわかる。

 

しかし、続く

『入れてるもんもん』が示すのは、

痛みを抑えつつ自分の選択を

貫こうとする矛盾した姿勢だろう。」

 

少年
「でも、それって不自由じゃない?

 

痛みがあるのに、それでも何かを

『入れる』って、

自分を縛っているようにも見えるよ。」

 

メロディウス
「そこには

自由と責任のテーマが潜んでいる。

 

ジャン=ポール・サルトル

実存主義では、

人間は選択の自由を持つが、

その選択に伴う責任も避けられない。

 

この歌詞の語り手も、

何かしらの価値観や

欲望に従って選択しているが、

その選択が痛みを伴うことを

受け入れているのだろう。」


 

第2章 家庭と社会の対立と調和

少年
「次の部分で

『昔オカンにキレていた/

部屋、勝手に開けるな』ってあるけど、

ここは親子関係の葛藤だよね。

 

だけど、それって今の自分を

作るきっかけだったのかな。」

 

メロディウス
「家庭の中での葛藤は、

人間の人格形成に大きな影響を与える。

 

この歌詞の中で

『オカン』という存在は、

語り手にとって規律や干渉の象徴だ。

 

ドイツの哲学者ヘーゲルは、

家庭を個人の自由と社会の規律が

初めて出会う場と考えた。

 

部屋を勝手に開けられるという行為が、

個人の領域への侵害だと感じられるのも、

こうした葛藤の現れだ。」

 

少年
「でも、その後で

『ラップのおかげ/溶け込めてる社会』ってある。

 

家庭では不自由を感じていたけど、

ラップが自由を見つける

手段になったのかもね。」

 

メロディウス
「その通りだ、少年。

 

アートや表現は、個人が自分を解放し、

社会に溶け込む手段となり得る。

 

ラップは語り手にとって

自己表現の場であり、

同時に他者とのつながりを

作る手段でもある。

 

アリストテレスの言葉を借りれば、

人間は『ポリス的動物』、

すなわち社会の中で生きる存在だ。

 

ラップを通じて、

自分の声を社会に響かせることで、

語り手は孤独を超えていく。」


 

第3章 現代社会の矛盾と倫理的選択

少年
「それでも、歌詞には

『法律破ってるけれどしゃーない』とか、

社会的に問題がある行為も

含まれているよね。

 

これは倫理的にどう解釈すればいいの?」

 

メロディウス
「良い問いだ。

 

ここでは語り手が

社会の規範と個人の欲望との間で

葛藤していることがわかる。

 

ドイツの哲学者カントは、

人間の行為は普遍的な道徳法則に

従うべきだと主張したが、

語り手はその枠を超えた行動を選んでいる。

 

彼の行動は一見矛盾しているが、

それは現代社会の価値観が

必ずしも一貫していないことを

反映しているとも言える。」

 

少年
「つまり、この矛盾そのものが

社会の縮図なんだね。

 

語り手の選択は、

自分だけの問題じゃないのかも。」

 

メロディウス
「その通りだ。

 

社会には法や倫理が存在する一方で、

人間の欲望や創造性を

完全に抑え込むことはできない。

 

語り手の行動は、

その境界線を問い直す挑戦でもある。

 

特に、『ラップのおかげ溶け込めてる社会』

というフレーズは、

彼が社会の中で自分の居場所を

模索していることを示している。」


 

結論 痛みと葛藤から生まれる自己表現の価値

少年
「結局、この歌詞の語り手は

何を伝えたいのかな?」

 

メロディウス
「この歌詞は、

痛み、葛藤、矛盾といった

人間の本質的な問題を

正面から描き出している。

 

そして、それらを単なる苦しみとして

終わらせるのではなく、

自己表現として昇華させているのだ。

 

語り手にとってラップは、

個人の自由を見つけ出し、

社会と調和するための道具なのだろう。」

 

少年
「痛みや矛盾を抱えながらも、

それを表現に変える力があるってことか。

 

なんだか、少し勇気が湧いてきたよ。」

 

メロディウス
「そうだ、少年。

哲学とは、こうした苦しみや疑問に向き合い、

その中から新しい価値を見出す営みだ。

 

この歌詞は、

それを体現している一つの形と言えるだろう。」

 

少年
「ありがとう、メロディウス。

ぼくも、自分の痛みや葛藤を表現してみようかな。」


【歌詞和訳考察】Ed Sheeran(エドシ―ラン) Under the Tree この曲の意味とは?ツリーの下に隠された本当の言葉の意味を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

Ed Sheeran
Under the Tree

について哲学的に考察していく。


 

Ed Sheeran「Under the Tree」MV

www.youtube.com


Under the Treeの歌詞/和訳

I’m alone this December.
12月のこの日、僕は一人。

It’s the last light of the day.
その日の最後の光が消えていく。

Oh, I can’t help but wonder if you feel the same.
ああ、君も同じ気持ちでいるのかと、つい考えてしまうんだ。

Oh, I guess I’ll surrender to the tears and the pain.
涙と痛みに屈するしかないのかな。

And the cold we are under will remain.
僕たちを包むこの寒さは、きっと消えないまま。

You were the hearth light, my fire, that died.
君は僕の暖炉の光、僕の火だったのに、それは消えてしまった。

Waiting for morning sunrise.
朝日の訪れを待ちながら。

There is nothing under the tree that I wished for.
ツリーの下には、僕が願ったものは何もない。

I want you to come back to me and be like before.
君に戻ってきてほしい、あの頃のように。

Have I lost you? Nothing will ever fill the hole.
君を失ったのかな?この穴を埋めるものは何もない。

My heart will be here under the tree, just letting you know.
僕の心はツリーの下にあるよ、ただそれだけ伝えたいんだ。

I’m alone this December.
12月のこの日、僕は一人。

And the long nights, they begin.
長い夜が始まる。

Still my mind’s overthinking now whose arms you’re in.
それでも、君が今誰の腕の中にいるのか考えすぎてしまう。

And were mine just an afterthought of needing to be kind.
僕の腕は、ただの優しさの後回しだったのかな?

Guess when we’re out of sight, it’s out of mind.
見えなくなれば、心からも消えていくんだろう。

You were the first touch, first look in my eyes.
君は最初の触れ合い、僕の目に映る最初の光だったのに。

Now we’re just strangers who walk by.
今では、ただ通り過ぎる見知らぬ人。

There is nothing under the tree that I wished for.
ツリーの下には、僕が願ったものは何もない。

I want you to come back to me and be like before.
君に戻ってきてほしい、あの頃のように。

Have I lost you? Nothing will ever fill the hole.
君を失ったのかな?この穴を埋めるものは何もない。

My heart will be here under the tree, just letting you know.
僕の心はツリーの下にあるよ、ただそれだけ伝えたいんだ。

You were the first touch, first look in my eyes.
君は最初の触れ合い、僕の目に映る最初の光だったのに。

Now we’re just strangers who walk by.
今では、ただ通り過ぎる見知らぬ人。

There is nothing under the tree that I wished for.
ツリーの下には、僕が願ったものは何もない。

I want you to come back to me and be like before.
君に戻ってきてほしい、あの頃のように。

Have I lost you? Nothing will ever fill the hole.
君を失ったのかな?この穴を埋めるものは何もない。

My heart will be here under the tree, just letting you know.
僕の心はツリーの下にあるよ、ただそれだけ伝えたいんだ。

You were the first touch, first look in my eyes.
君は最初の触れ合い、僕の目に映る最初の光だったのに。

Now we’re just strangers who walk by.
今では、ただ通り過ぎる見知らぬ人。

There is nothing under the tree that I wished for.
ツリーの下には、僕が願ったものは何もない。

I want you to come back to me and be like before.
君に戻ってきてほしい、あの頃のように。

Have I lost you? Nothing will ever fill the hole.
君を失ったのかな?この穴を埋めるものは何もない。

My heart will be here under the tree, just letting you know.
僕の心はツリーの下にあるよ、ただそれだけ伝えたいんだ。


序論

少年:

メロディウス、

最近こんな歌詞を見つけたんだ。

 

エドは失われた愛に取り残された

自分を歌っているんだ。

 

孤独、後悔、そして埋めることのできない

心の穴を感じる内容なんだけど、

何かもっと深い意味が

隠れているように思えてならないんだ。

 

メロディウス:

それは興味深いね、少年。

 

この歌詞を通じて愛、喪失、

そして人間の孤独について考察できそうだ。

 

歌詞の中で「ツリーの下」という

象徴的な場所が繰り返し現れる。

 

それがただの場所なのか、

それとも何か哲学的な問いを

投げかけているのか、

これから考えてみよう。


 

第1章 愛とは何か

少年:

歌詞には

「君は僕の暖炉の光だった」

と書かれている。

 

愛を暖炉や火に例えることで、

温もりや生命力を感じさせるね。

 

でも、それが消えた時の

冷たさや孤独も同時に浮かび上がる。

 

愛って、結局自分にとって

何かを満たすものなのかな?

 

メロディウス:

 

面白い視点だね。

 

愛を暖炉に例えることは、

古代からの比喩だ。

 

暖炉は家の中心、家庭の象徴でもある。

 

だが、愛が他者から

与えられるものだと考えた瞬間、

それが失われた時に

「冷たさ」が押し寄せる。

 

つまり、この歌詞は愛を

「所有物」として捉えている可能性がある。

 

哲学的には、愛は与え合うものだと

考えるべきではないだろうか?

 

少年よ、君はどう思う?

 

少年: 確かに、「所有」としての

愛だと失った時の喪失感が際立つね。

 

でも、それじゃ愛を完全に

与えるってどういうこと?

自分が何も期待しないで

与えるなんて、可能なのかな?

 

メロディウス:

それが難しいのが人間という存在だよ。

 

愛の哲学者たち、

例えばキルケゴールは、

愛を「自己の贈与」として捉えた。

 

だが、その贈与が相手に届かなければ、

それもまた苦しみになる。

 

この歌詞の主人公も、

相手の愛を「欲して」いるが、

それは相手を理解しようとする

努力を欠いているのかもしれない。


 

第2章 喪失と孤独

少年:

次に、「君を失ったのかな?

この穴を埋めるものは何もない」とある。

 

喪失感って、本当にこんな風に

埋められないものなのかな?

 

僕たちはどうして心に

穴が開いたように感じるんだろう?

 

メロディウス:

喪失感というのは、

自分の一部が

引き剥がされたような感覚だ。

 

それは、愛する人との関係が

自己の一部として認識されていたからだよ。

 

哲学的には、これは

「存在の不完全性」を意味する。

 

つまり、人間は誰しも孤独な存在であり、

他者によってその孤独を

一時的に覆い隠しているにすぎない。

 

少年よ、君は孤独をどのように感じる?

 

少年:

孤独は怖いよ。

 

誰も自分のことを

分かってくれないと

思う瞬間が一番つらい。

 

でも、それを他人に

求めるのも難しいんだよね。

 

結局、誰も僕の穴を

完全に埋めることはできない。

 

メロディウス:

その通りだよ。

 

だが、孤独を受け入れることができれば、

それは哲学的な成長へと繋がる。

 

ハイデガーは「人間は投げ出された存在だ」

と述べたが、

その孤独を引き受けることが

本当の自由への道だと言った。

 

この歌詞の主人公もまた、

自分の孤独を理解することで

次のステップに進むべきなのかもしれないね。


 

第3章 「ツリーの下」の象徴

少年:

歌詞の中で「ツリーの下」って

何度も出てくるけど、

これは単にクリスマスツリーを

指しているだけじゃないような気がするんだ。

 

ツリーの下って、何かの象徴じゃない?

 

メロディウス:

鋭い指摘だね。

ツリーは多くの文化で生命や再生の象徴だ。

 

だが、この歌詞では

ツリーの下が「空っぽ」であり、

願いが叶わない場所として描かれている。

 

これは希望が失われた空間を

表しているのかもしれない。

 

少年よ、君がツリーの下に

座っていると想像してみて、何を感じる?

 

少年:

うーん、周りには飾りや

プレゼントがあるはずなのに、

心が冷たくて空っぽだと思う。

 

それは、何をもらっても

本当に欲しいものが

そこにないからなのかもしれない。

 

メロディウス:

その感覚は深いね。

 

このツリーの下は

「期待」と「現実」の間にある

ギャップを象徴しているようにも見える。

 

人はしばしば外部のものに

希望を投影するが、

それが叶わないとき、

自らの内面と向き合わざるを得ない。

 

この歌詞の主人公は、

ツリーの下で自らの孤独や

欠落と対峙しているのだろう。


 

結論

少年:

この歌詞を通して、

僕たちは愛や喪失、孤独について

深く考えたね。

 

結局、人は愛によって

心を満たそうとするけれど、

それが失われると

本当の自分と

向き合わざるを得なくなるんだと思う。

 

メロディウス:

そうだね、少年。

 

この歌詞の主人公もまた、

自らの孤独と向き合う中で

成長の兆しを見せているのかもしれない。

 

ツリーの下に何もないのは

悲しみの象徴だが、

同時にそれは新たな始まりを

意味する可能性もある。

 

空っぽであることは、

新しい何かを受け入れる

余地があるということだ。

 

少年:

つまり、孤独や喪失も

決して無駄ではないということ?

それは自分を知るための試練なんだね。

 

メロディウス:

その通りだよ、少年。

この歌詞は失われた愛を嘆きながらも、

哲学的には新たな可能性への

扉を示唆している。

 

だからこそ、

「Under the Tree」という場所で

主人公はただの絶望ではなく、

再生の兆しを待っているのかもしれないね。

 

少年:

ありがとう、メロディウス。

この歌詞をただ悲しいだけの物語じゃなく、

希望のあるメッセージとして見ることができたよ。


【歌詞考察】Chilli Beans./cyber(サイバー) この曲の意味とは?撃退-宇宙亡霊軍などカオスな言葉を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

Chilli Beans.
cyber

について哲学的に考察していく。


 

Chilli Beans.「cyber」MV

www.youtube.com


cyberの歌詞

Hey ちょっと待って
感動のゴミも掴み
全て体験とトントン
珍装備終わってんね
ったく使命感で
生き抜いてんの?
トントン
ちょっと待って
今度の土曜 
君とのデートで
油断していたい
痛い 居たい抱く
温度はガラスの上 
ヘドロstory
人助けッテ 勘弁
マジぬくぬく居たい
だいたい全員夢で泣く
カラスのくせに
強くなれ忘れるな
踏ん張れよ早くだ 
あの子の為
現実というcloudy
See you tomorrowで背を
強くなれ忘れるな
今度の土曜はデートの日だ
そーだgetで無念信念
撃退-宇宙亡霊軍
きっとそうだ メガネboy
姿くらまし 皆わかんだ
君を守る究極バディー 
超coolさ
「今行くよ!花ちゃ〜ん」
人助けで恩返す
ah イチャイチャしたい
だいたい全部夢のせい
大したもんで
強くなれ忘れるな
はみ出せ早くだ あの子の為
現実というcloudy
See you tomorrowで背を
強くなれ忘れるな
今度の土曜はデートの日だ
そーだgetで無念信念
撃退-宇宙亡霊軍
あの子の為 
立ち上がれ傷を作ってでも
終われば最高なムードで
You can fly. 
yea comeback !
I am your hero


序論

少年: 
メロディウス、この歌詞、

めちゃくちゃカオスだけど、

どこか引き込まれるんだよね。

 

特に、「人助けッテ勘弁」とか

「現実というcloudy」ってフレーズ。

 

なんだか、現代を生き抜く

人間の感情が詰まっている気がする。

 

メロディウス: 
確かに、少年。

 

この歌詞には、現代の人間が直面する

複雑な葛藤や矛盾が

散りばめられているようだ。

 

感情、使命感、夢と現実、

自己犠牲、そして自己実現

 

それらが絡み合いながら、

一種の「英雄譚」として表現されている。

 

少年: 
英雄譚っていうと

壮大すぎる気もするけど、

確かに「君を守る究極バディー」とか

「撃退-宇宙亡霊軍」とか、

それっぽいフレーズもある。

 

じゃあ、この歌詞を深掘りしていこうよ!

 

メロディウス: 
よかろう。では、第1章から始めよう。


 

第1章 感情のカオスと自己矛盾

少年: 
まず、「感動のゴミも掴み」って

どういうことだろう?

 

感動って普通、ゴミ扱いされないよね。

 

掴むっていうのも、

無理矢理手に入れようとしている感じがする。

 

メロディウス: 
ここで語られているのは、

無秩序な感情や経験の洪水だろうな。

 

人は感動を追い求めるが、

そこに含まれる不純物

つまり、自分にとって

不快な経験や雑念さえも

受け入れなければならない。

 

人生そのものが「ゴミ」も含む

総体的な体験として捉えられている。

 

少年: 
「全て体験とトントン」ってフレーズも、

それを肯定しているのかな?

 

いいことも悪いことも、結局は同じだよって。

 

メロディウス: 
そうだ。

「トントン」とは、

バランスを取る行為の暗喩だ。

 

だがその裏には、

「使命感で生き抜いてんの?」

という自己疑問がある。

 

これは、感情や使命感に縛られつつも、

真の自己を探している葛藤だと言えよう。


 

第2章 夢と現実の曖昧さ

少年: 
「だいたい全員夢で泣く」って部分、

切なくない?

 

夢が理想だとしても、

そこですら人は泣いているんだ。

 

メロディウス: 
このフレーズには、

人間の根源的な孤独が見える。

 

夢とは通常、現実からの

逃避でありながらも、

理想の到達不可能性を

思い知らされる場だ。

 

つまり、夢と現実の

どちらにおいても

完全な安息は得られないのだ。

 

少年: 
でもさ、「現実というcloudy」って部分、

ちょっと曖昧な感じがする。

 

雲っている現実を指しているのかな?

 

メロディウス: 
その通りだ。

「cloudy」は、現実が不透明であり、

不確定であることの象徴だ。

 

さらに、「See you tomorrowで背を」

というフレーズは、

曖昧な現実を受け入れつつ、

未来へ進む希望を示唆している。

 

背を向ける行為は一見逃避だが、

実は新たな可能性への歩み出しでもある。


 

第3章 使命感と愛の狭間で

少年: 
歌詞には「君とのデート」とか

「イチャイチャしたい」みたいな、

すごく個人的な願望も出てくる。

 

でもその一方で、「人助けで恩返す」

みたいな社会的な使命感もあるよね。

 

これって、どういう関係なんだろう?

 

メロディウス: 
それは、個人的幸福と他者への

奉仕の二律背反だ。

 

人は自己満足を求めながらも、

社会的責任を果たす存在だ。

 

歌詞は、この矛盾を抱えながら

生きる現代人の姿を描いているのだろう。

 

少年: 
「あの子の為」とか

「君を守る究極バディー」って部分、

結構ヒーロー的な役割を

自分に課してるよね。

 

自己犠牲の精神も感じる。

 

メロディウス: 
その通りだ。

 

しかし、それは純粋な

自己犠牲というよりも、

自分の存在意義を

確立するための行為だと言える。

 

誰かを守ることで

自分の価値を証明しようとしているのだ。


 

第4章 英雄と自己実現

少年: 
「撃退-宇宙亡霊軍」とか

「I am your hero」って

急にスケールが大きくなるけど、

これはどういう意味?

 

メロディウス: 
宇宙亡霊軍は、

現実の象徴として捉えられる。

 

つまり、個人が直面する困難や不安、

あるいは社会的なプレッシャーを

擬人化しているのだ。

 

そして、「I am your hero」

という宣言は、

自己実現の頂点を示している。

 

困難を乗り越えることで、

自己の価値を確立するというメッセージだ。

 

少年: 
「終われば最高なムードで」

「You can fly」って部分も、

達成感や解放感が伝わってくるよね。

 

メロディウス: 
そうだ。

ここには、全ての苦難を

乗り越えた先にある

希望と喜びが描かれている。

 

しかし、それは一時的なものであり、

また新たな困難が訪れる

という暗黙の了解も含まれている。


 

結論

少年: 
なんか、この歌詞って結局、

矛盾だらけの人間の姿を描いてる気がする。

 

使命感とか愛とか、

現実とか夢とか、全部ごちゃごちゃで。

 

メロディウス: 
その通りだ、少年。

 

この歌詞が提示するのは、

矛盾や混沌を受け入れながら、

それでも前に進むという生き方だ。

 

人生は「現実というcloudy」で

ありながらも、

「You can fly」という

希望を持つことができる。

 

これが、現代の「英雄」の姿なのだろう。

 

少年: 
じゃあ僕らも、

ゴミだって掴みながら進むしかないのかな。

 

メロディウス: 
そうだ。そしてその過程こそが、

人生を生きるということなのだよ、少年。


【歌詞考察】Eve/Lazy Cat この曲の意味とは?怠け者の猫の正体や相性最悪の猫にした理由を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

Eve
Lazy Cat

について哲学的に考察していく。


 

Eve「Lazy Cat」MV

www.youtube.com


Lazy Catの歌詞

君の前で淡々と
小心者でいる
あぁしょうがないよな
この生き方しか
知らないでいる
10代ちょっと無駄にして
ただ20代ずっと無駄にして
馬鹿な後悔ばっか
蓋をして
くだんない人間昇華してさ
空っぽの優越感
使えない
プライドだけを残して
甘い誘惑へ 怠惰な
明日のことなど
意味などないぜ
こんなマイペースな僕でさえ
自分的に好きだったり え?
つまらない過去の話は
スルーにして
相性最悪の愛猫と喧嘩して
『あ、そう」
「まあいいじゃん」
多用 口癖
今日も笑ってるだけ
10年後なんて
一切覚えていないんだって
不確かな約束は飽き飽きで
君の目の前にはただ
陰がさす暗闇が待っていた
不甲斐無い夜を愛せたら
目を醒ませ今までの全てを
別に誰かの為になりたいとか
期待もされたくはないけど
どうしようもない 
変わんないさ
だけどもう少し
なるようにはなるさ
君の目の前にはただ
陰がさす暗闇が待っていた
不甲斐無い夜を愛せたら
目を醒ませ今までの全てを
別に誰かの為になりたいとか
期待もされたくはないけど
どうしようもない 
変わんないさ
だけどもう少し
なるようにはなるさ


序論

少年:
「メロディウス、この歌詞を読むと、

自分の生き方が不完全で

矛盾だらけだと感じている

人の心の声みたいに思えるんです。

 

10代や20代を“無駄にした”

と振り返りながらも、

どこかそれを許容しているような気がして。」

 

メロディウス:
「確かに、この歌詞は

自己嫌悪と自己受容が

交差している印象を受けるな。

 

しかし、単なる自己否定に終始せず、

変化への希望や可能性を

織り交ぜているのが興味深い。

 

少年、君が感じたように、

歌詞の中心には

『不完全さをどう受け入れるか』

という問いがあるようだ。」

 

少年:
「じゃあ、この歌詞を元に

“生きる意味”や“自己理解”

について深く掘り下げてみたいです。

章ごとに分けて話しませんか?」

 

メロディウス:
「いい提案だ。

 

では、歌詞の流れに

沿って考察を進めよう。

 

まずは、自分の無力感から始まり、

過去との向き合い、

そして未来への希望を見出す

プロセスを追ってみようか。」


 

第1章 自己否定と生きる矛盾

少年:
「冒頭の“君の前で淡々と

小心者でいる”という部分、

これって他者の視線を

意識して自分を抑え込んでいる感じですよね。

 

どうして人はこんなふうに、

自分を縛ってしまうんでしょう?」

 

メロディウス:
「それは人間の社会的な本能だよ。

他者の目を意識することで、

自己を客観視しようとする。

 

しかし、その結果、

自分の本音や本性を

抑え込んでしまうこともある。

 

歌詞全体で語られる“小心者”の姿は、

その内なる葛藤の象徴だ。

 

興味深いのは、

こうした矛盾を認めつつも、

それに囚われ続ける様子が

“しょうがないよな”という

言葉で描かれていることだ。」

 

少年:
「“この生き方しか知らないでいる”

というのも、ある種の諦めを感じます。

 

でも、僕はこの部分に

少し共感してしまいます。

 

自分が生きてきた道が

不完全だと分かっていても、

それ以外を選ぶ方法が分からないというか。」

 

メロディウス:
「その感覚は、過去に対する

後悔と未来への不安が交錯している証拠だろう。

 

10代や20代を

“無駄にした”という言葉は、

自分の歩んできた道を

否定する一方で、

その無駄を認めざるを得ないという

人間的な弱さの表れだ。」


 

第2章 過去との対話

少年:
「“馬鹿な後悔ばっか

蓋をして”という部分、

僕には過去の失敗を

見て見ぬふりしているように感じます。

 

でも、その失敗を受け入れることで

前に進めるんじゃないですか?」

 

メロディウス:
「その通りだ。

 

だが、人間は過去を

完全に受け入れるのが苦手だ。

 

失敗や後悔を直視することは、

自己否定に繋がるからな。

 

しかし、歌詞に込められたメッセージは、

こうした蓋をした過去さえも

自分の一部として昇華しようとする試みだ。

 

“くだんない人間昇華してさ”

というフレーズは、

過去の無駄を糧として

生きる道を示唆しているように思える。」

 

少年:
「でも、その過去が邪魔をして、

未来の選択肢を狭めることもありますよね。

 

“空っぽの優越感”や“

使えないプライド”って、

その象徴なんでしょうか?」

 

メロディウス:
「そうだな。

これらは自己防衛の名残だろう。

 

人は失敗を糧にすると言いながらも、

心の中にはまだ幼いプライドが残る。

 

それは時に無駄に思えるが、

それ自体も人間的だ。

 

過去との対話は、

こうした矛盾を受け入れることで成り立つ。」


 

第3章 現在と未来へのまなざし

少年:
「“こんなマイペースな

僕でさえ 自分的に好きだったり”

という部分、少し意外でした。

 

自分を嫌いながらも、

どこかで好きだと思える

瞬間があるってことですよね。」

 

メロディウス:
「その瞬間が重要なのだよ。

 

完全ではない自分を時折愛せること、

それが人間の救いだ。

 

この歌詞では、

不完全さの中にも生きる

価値を見出そうとする姿勢が表れている。

 

そして、歌詞の後半に進むにつれて、

“目を醒ませ 今までの全てを”

というフレーズが、

過去を断ち切り、

未来への新しい視点を持つ

重要性を語っているように感じられる。」

 

少年:
「それでも、

“別に誰かの為になりたいとか

期待もされたくはないけど”

という部分を見ると、

未来への意欲というより、

まだどこか受け身な印象も受けます。」

 

メロディウス:
「確かに、そこには

過剰な期待への反発がある。

 

しかし、

“だけどもう少し なるようにはなるさ”

という言葉に救いがあると思わないか?

 

期待される自分ではなく、

自分らしく生きるための

わずかな希望を見出しているのだろう。」


 

第4章 猫という象徴と“怠惰”へのまなざし

少年:
「そういえば、

歌のタイトルが“Lazy Cat”なのに、

猫そのものについては

直接的には

あまり語られていないですよね。

 

でも“相性最悪の愛猫と喧嘩して”

というフレーズがある。

 

これ、何か深い意味があるんでしょうか?」

 

メロディウス:
「猫という存在は、

しばしば自由や

気まぐれの象徴として描かれる。

 

だが、この歌詞に登場する

“相性最悪の愛猫”は、

主人公の生き方や性格と

対立しているようだ。

 

つまり、この猫は彼自身の中にある

“怠惰”や“自由を求める心”の

メタファーとして

読めるのではないだろうか。」

 

少年:
「自分自身と喧嘩しているようなものですか?」

 

メロディウス:
「その通りだ。

人間は怠惰を嫌いながらも、

それに惹かれるものだ。

 

猫のように自由で、

何ものにも縛られない

生き方を夢見ながら、

現実ではその自由を持て余してしまう。

 

だから、この愛猫との喧嘩は、

主人公が自分自身の

“怠惰”や“自由”をどう扱うか

葛藤している様子を

表しているのかもしれない。」


 

少年:
「“Lazy Cat”って

タイトルもそう考えると

意味深ですね。

 

怠惰そのものを猫という形にして

名付けた感じがします。」

 

メロディウス:
「そうだな。

猫はその自由気ままな

振る舞いゆえに愛されるが、

同時に自分の思い通りには

ならない存在でもある。

 

それは、人が抱える

“なりたい自分”や

“ありのままの自分”の

矛盾に似ている。

 

歌詞全体に散りばめられた

葛藤や不完全さは、

この猫という象徴に

凝縮されているのかもしれない。」

 

少年:
「でも“相性最悪”と

ついているところが

少し気になります。

 

主人公は自分の中の猫的な部分、

つまり怠惰や自由を

どうにか受け入れられないってことですか?」

 

メロディウス:
「必ずしも拒絶している

わけではないだろう。

 

喧嘩するほど近い関係、

とも言える。“愛猫”と呼ぶことで、

完全に否定しているのではなく、

むしろその存在を

受け入れている部分も感じられる。

 

この歌詞全体を通じて伝わるのは、

怠惰や矛盾を含む自分の欠点を

否定するのではなく、

それらを含めてどう付き合っていくか、

というテーマだ。」

 

少年:
「じゃあ、猫は主人公が

向き合うべき相手でありながら、

ある意味で一緒に生きていく

相棒のような存在なんですね?」

 

メロディウス:
「そうだ。

猫的な気まぐれや怠惰は

人間の本能に近い部分だ。

 

主人公が“目を醒ませ

今までの全てを”と語るとき、

それは怠惰を

振り払おうとするのではなく、

それを含めた自分を

新たに見つめ直そうとしているのだろう。

 

このタイトルが“Lazy Cat”であるのも、

その怠惰な自分を否定するどころか、

ある種の愛おしさを持って

受け入れているからではないかと思う。」

 

少年:
「自分の中の猫を愛しつつ、

喧嘩もしながら、

共存していく

そんな姿勢が

この曲の核にあるのかもしれませんね。」

 

メロディウス:
「そうだな。

猫はただ怠惰の象徴に留まらず、

人間の多面性や矛盾の象徴でもある。

 

主人公がこの愛猫と向き合うことで、

少しずつ自分自身を受け入れ、

より自然体で生きる道を探ろうとしている。

 

それこそが、

この歌の示す哲学的な

メッセージではないだろうか。」


 

結論 矛盾を抱えた生き方への希望

少年:
「結局、この歌詞って

自分の不完全さを受け入れることが

テーマなんでしょうか?」

 

メロディウス:
「その通りだ。

 

この歌詞は、過去、現在、未来の

自分を見つめ直し、

それぞれの不完全さを認めつつも、

それらをすべて抱えたまま

生きることの美しさを語っている。

 

不完全な自分であっても、

それを愛し、変化の可能性を

信じる姿勢が感じられる。」

 

少年:
「つまり、生きる意味は、

完璧になることではなく、

不完全さの中で

希望を見つけることにある、と?」

 

メロディウス:
「その通りだ。

そして、この歌詞のように、

矛盾や迷いを抱えながらも、

自分なりのペースで生きることこそが、

最も人間らしい生き方なのかもしれない。」

 

少年:
「なんだか少し気持ちが軽くなりました。

完璧を求めなくてもいいんですね。」

 

メロディウス:
「そうだよ、少年。

 

君のペースで、

不完全さを愛していけばいい。」


【歌詞考察】すとぷり/恋の行方 この曲の意味とは?シドのマオ作詞の恋愛ソングを哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

すとぷり
恋の行方

について哲学的に考察していく。


 

 

すとぷり「恋の行方」MV

www.youtube.com

 

恋の行方の歌詞

この恋の行方は
眺めの悪い景色だけど
夢中で見てた
ヒビが入れば
君の隣割り込めるかな
行き場のない想いは
宙に浮いてまた
今日も空に散る
こっちに向けられた 
笑顔じゃなくても
続いて欲しいと願ってた
この恋の行方だけに
支配された
僕はもう遠くで
輝く星を掴む夢見て
「逢いたい」が募れば
眠れぬ夜へ潜る
初めて君と交わした
言葉弾けた胸
勘違いの中に
小さな希望探しては繋いでた
いっときでもいいよ
代わりでもいい 
それでも視界に入りたい
気づかれないように
でも気づかれたい揺れる想い
いつかこの恋を
届けるときがきたら
君と泣いて笑う?
それとも笑って泣く?
この恋の行方だけに
支配された 
僕はもう遠くで
輝く星を掴む夢見て
「逢いたい」が募れば
眠れぬ夜へ潜る
初めて君と交わした言葉 
弾けた胸
勘違いの中に小さな希望 
探しては繋いでた
いっときでもいいよ
代わりでもいい 
それでも視界に入りたい
気づかれないように
でも気づかれたい揺れる想い
いつかこの恋を
届けるときがきたら
君と泣いて笑う?
それとも笑って泣く?
この恋の行方だけに
支配された
僕はもう遠くで
輝く星を掴む夢見て
「逢いたい」が募れば
眠れぬ夜へ潜る
恋は散る?恋は咲く。


序論

少年:
「この歌詞、なんだか心が揺さぶられるね。

ただの恋の歌じゃない。

 

恋の儚さ、切なさ、

そして何かもっと深い感情を

描いている気がする。」

 

メロディウス:
「そうだね、少年。

ここで語られているのは

単なる恋愛の物語というより、

恋という現象が

私たちの内面に及ぼす哲学的な問いだ。

 

恋とは何か、

その行方とは何を意味するのか。

 

そして、愛することの本質とは

何かを考える必要がある。」


 

第1章 恋の「行方」とは何か

少年:
「歌詞では

『この恋の行方だけに支配された』

ってあるけど、

恋の行方に支配されるって、

どういうことだろう?」

 

メロディウス:
「それは、恋という感情が

個人の意志や理性を超えて、

心を完全に掌握してしまうことを

指しているのかもしれない。

 

プラトンの哲学では、

愛は魂を上へと

引き上げる力だとされているが、

この歌詞における恋は、

むしろ下へ引きずり込むような

執着にも似た力だ。」

 

少年:
「『眺めの悪い景色』

というのも気になる。

 

恋をしているのに、

どうしてそんな悲観的な表現なんだろう?」

 

メロディウス:
「おそらく、それは報われない恋、

もしくは一方通行の

恋愛の苦しさを指しているのだろう。

 

相手の隣に『割り込む』

という表現も、

恋が純粋なものだけではなく、

どこかで葛藤や

罪悪感を伴うものだという暗示だ。」


 

第2章 恋における希望と絶望

少年:
「『勘違いの中に小さな希望探して』って、

なんだか切ない。

希望があっても、

それが『勘違い』だったら

どうしようって思うよ。」

 

メロディウス:
「少年、それが恋の本質の一つだよ。

 

恋とは希望と絶望が交差する感情だ。

 

希望があるからこそ前に進もうとするが、

同時に絶望が近くにあるから不安になる。

 

この両者の間で揺れる感情こそが、

歌詞に描かれる『揺れる想い』の核心だ。」

 

少年:
「それでも『視界に入りたい』

って気持ち、すごく共感できる。

 

報われないと分かってても、

見てもらいたいんだ。」

 

メロディウス:
「ここに表れているのは

人間の認識欲求だ。

 

存在が認められたいという渇望だね。

 

哲学者マルティン・ブーバー

『我と汝』の概念を考えてみよう。

 

この恋は相手に向けた

『汝』としての愛ではなく、

『我』が認められたいという

一方的な欲求が混じっているように思える。」


 

第3章 恋の終焉と新たな始まり

少年:
「歌詞の最後、

『恋は散る?恋は咲く』ってあるけど、

恋が散るのと咲くのってどう違うんだろう?」

 

メロディウス:
「それは、恋が成就するか

否かという単純な違いではないと思う。

 

恋が散るというのは、

恋愛の対象に固執し続けることで、

自己が疲弊し終わってしまう

状態を表している。

 

一方で、恋が咲くというのは、

恋が自己成長や新しい視点をもたらし、

自己を豊かにする方向へ進むことだ。」

 

少年:
「じゃあ、報われない恋でも、

何か意味があるってこと?」

 

メロディウス:
「その通りだ。

 

恋が必ずしも成就しなくても、

その過程で人は自分を見つめ直し、

何かを学ぶことができる。

 

歌詞で描かれる

『輝く星を掴む夢』とは、

恋が自己実現

内面の成長に繋がる可能性を

示唆しているのかもしれないね。」


 

結論

少年:
「じゃあ、この歌詞に描かれる恋は、

ただの一方的な

片想いの物語じゃないんだね。」

 

メロディウス:
「そうだね。この歌詞は、

恋という感情が持つ多面性を

深く掘り下げている。

 

恋はときに執着や苦しみを伴うが、

それでも人間にとって

欠かせない感情だ。

 

なぜなら、それが私たちを成長させ、

他者との関係の意味を考えさせるからだ。

 

『恋は散る?恋は咲く』

という問いの答えは、

恋をどう受け止めるかによって変わる。

 

君はどう思う?」

 

少年:
「僕は…この恋が

咲くといいなって思うよ。

 

でも、たとえ散ってしまっても、

それが僕に何かを教えてくれるなら、

無駄じゃない気がする。」

 

メロディウス:
「その心持ちがある限り、

君の恋はどちらの形でも

『咲く』と言えるのかもしれないね。」


【歌詞考察】JIN(ジン)/Falling feat. Taka(君に届くまで) この曲の意味とは?ワンオクのタカとの楽曲を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

JIN
Falling feat. Taka(君に届くまで)


 

JIN「Falling feat. Taka(君に届くまで)」MV

www.youtube.com


Falling(君に届くまで)の歌詞

遠すぎる冷静な
君と僕の温度差
手伸ばす but
I can't touch you
You better know what to do
君へのこの想い
激しく走る時
終わらない長い夜が
僕を包む
伝えたい
I wanna make you mine
声かけたいけど
君に届かなくて
You got me falling
I want you
君が欲しいんだ
僕の全ては
All for you
今よりそばで
また届くまで
隠していた想い
目も合わせられず
君を見るとまた
逸らす僕さ
もういっそ
I wanna make you mine
声かけたいけど
君に届かなくて
You got me falling
I want you
君が欲しいんだ
僕の全ては
All for you
今よりそばで
また届くまで
I can't let it go
教えてよ
Is it yes or no?
Tell me, tell me
どうしてうまく
伝わらない
You're my soul and 
I'm just somebody
何度でも
I wanna make you mine
声かけたいけど
君に届かなくて
You got me falling
I want you
君が欲しいんだ
僕の全ては
All for you
今よりそばで
また届くまで
I can't let it go
教えてよ
Is it yes or no?
Tell me, tell me
どうしてうまく
伝わらない
You're my soul and 
I'm just somebody, yeah


序論

少年
「ねえ、メロディウス。

この歌詞の中には、

何か深いものがある気がするんだ。

 

特に『君と僕の温度差』や

『伝えたいけど届かない』という部分、

まるで心と心の間にある

透明な壁のようなものを感じるよ。

 

それはどうしてなんだろう?」

 

メロディウス
「良い問いだね、少年。

 

この歌詞には、愛という

普遍的なテーマが描かれているが、

その中には存在論的な問いも隠れている。

 

『温度差』は、

まさに二つの存在が

同じ次元で交わることの

難しさを象徴している。

 

では、この問題を深めるために、

第一章では『温度差』について

掘り下げて考察しよう。」


 

第1章 温度差と存在の隔たり

少年
「『温度差』って、

心の距離やすれ違いを

表しているのかな?

 

歌詞の中で

『手を伸ばすけど届かない』

と言ってるけど、

これは努力しても

埋められない隔たりみたいだよね。」

 

メロディウス
「その通りだ、少年。

 

この『温度差』は、

人間の間に必然的に

存在する孤独を示しているとも言える。

 

私たちはそれぞれ違う視点や

経験を持つ存在だから、

完全に相手の内面に

到達することはできない。

 

だが、『手を伸ばす』という行為は、

人間の本質的な性質である

“つながりたい”という欲求の表れでもある。」

 

少年
「でも、それってすごく切ないね。

どれだけ手を伸ばしても触れられないって。」

 

メロディウス
「そうだな。

しかし、この切なさは

同時に美しいものでもある。

 

なぜなら、

それは人間が他者を理解したい、

共鳴したいという純粋な願いを

持っている証だからだ。

 

歌詞にある『I can’t touch you』は、

ただの物理的な距離ではなく、

精神的な壁を示唆している。

 

だが、それでも人は手を伸ばし続けるのだ。」


 

第2章 欲望と自己犠牲

少年
「次に気になったのは

『君が欲しいんだ、

僕の全てはAll for you』

という部分だよ。

 

この想いはすごく強いけど、

どこか危うい感じがする。」

 

メロディウス
「鋭いね、少年。

 

ここには“自己犠牲”という

テーマが浮かび上がっている。

 

人間は誰かを深く愛するとき、

自分を捨てても相手を優先しようとする。

 

それは美徳のようにも見えるが、

同時に“自己喪失”という

危険性もはらんでいる。」

 

少年
「自己喪失ってどういうこと?」

 

メロディウス
「それは、自分自身の存在意義が

他者に依存する状態のことだ。

 

この歌詞では

『僕の全てはAll for you』と言っているが、

この表現には“相手がいなければ

自分は完全でない”という含みがある。

 

そのような愛は、相手にとっても

自分にとっても重荷になる可能性がある。」

 

少年
「じゃあ、どうすればいいのかな?

 

相手を想う気持ちを持ちながら、

自分を失わない方法って。」

 

メロディウス
「それは、まず自分自身を

愛することから始まる。

 

自己犠牲と献身のバランスを

取ることが重要だ。

 

歌詞の『I can’t let it go』は

執着を表しているが、

執着ではなく“共に在る”ことを目指すべきだ。」


 

第3章 不完全さの美学

少年
「でもさ、歌詞の

『どうしてうまく伝わらない』

って部分は、相手との関係が

不完全だからこそ苦しいんだよね。」

 

メロディウス
「そうだ、不完全さは苦しみを伴うが、

それ自体が美しいものでもある。

 

この世には完璧な愛や関係など存在しない。

 

だからこそ、

私たちは言葉や行動を通じて、

少しでも相手に近づこうと努力する。

 

その“過程”こそが、人間らしさの本質だ。」

 

少年
「じゃあ、この歌詞の主人公も、

不完全だからこそ愛を求めているの?」

 

メロディウス
「その通り。

この歌詞全体が描いているのは、

不完全であるがゆえに

他者を求める人間の姿だ。

 

そして、それが愛の形でもある。」


 

結論 愛と存在の追求

少年
「最後に、メロディウス。

この歌詞から僕たちは何を学べるんだろう?」

 

メロディウス
「この歌詞は、

愛というテーマを通じて、

人間の存在の本質を描いている。

 

相手との距離や不完全さ、

自己犠牲といった葛藤は、

すべて人間らしさを映し出している。

 

最終的に、

私たちは完全なつながりを

得られないかもしれない。

 

だが、それでもつながろうとする

“意志”こそが尊いのだ。

 

少年、この歌詞が君に教えているのは、

愛とは結果ではなく、

その過程にこそ価値があるということだ。」

 

少年
「うん、わかった気がする。

 

たとえ手が届かなくても、

僕は手を伸ばし続けるよ。

 

それが僕の愛の形なんだね。」


【歌詞考察】竹内まりや/Days of Love この曲の意味とは?山下達郎作曲!ただのラブストーリではない奇跡の音楽を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

竹内まりや
Days of Love

について哲学的に考察していく。


 

竹内まりや「Days of Love」MV

www.youtube.com


Days of Loveの歌詞

藍色の秋の夜空を
ふたり黙って見ていた
願い事を胸に
こんな幸せが
きっといつまでも続くようにと
流れ星に Make a wish
出会いから
今日までの日々たどれば
ささやかな出来事さえも
すべてがみんな
奇跡のように思えて泣けるの
小さな時を重ねながら
あなたと創る毎日
それは永遠の Days of Love
おうし座の
メテオシャワーが降る夜
手をつなぎ寄り添い合って
また同じ夢追いかけようと
ほほえむ
あなたを Love you for good
明日が良い日であるように
祈る気持ちで眠るの
ずっと一緒ね My Dear
終わりのない Our Love
それは永遠の
Days of Love


序論

少年: 
メロディウス、

この歌詞には

何か不思議な温かさを感じます。

 

ただの恋愛の歌に見えるけど、

その奥にはもっと深い意味が

隠されているような気がするんだ。

 

メロディウス: 
そうだな、少年。

 

この歌詞は「永遠」や「奇跡」

といった普遍的なテーマを

歌いながらも、

日常の一瞬一瞬の大切さを

思い出させてくれる。

 

それでは、

この詩を哲学的にひも解いていこう。

 

まずは序章として、

歌詞全体のテーマを整理しよう。

この詩は、「日常の中にある永遠」と

「奇跡としての人間関係」を

中心に展開されているようだ。


 

第1章 流れ星と願い - 一瞬に込められる無限

少年: 
「流れ星に Make a wish」っていう

言葉が好きなんだ。

 

流れ星って一瞬で消えてしまうけど、

その瞬間に願いを込めることで、

何か永遠に繋がるような感覚がある。

 

これはどういうことなんだろう?

 

メロディウス: 
いい着眼点だ、少年。

 

この部分は、

古代ギリシャ

哲学者ヘラクレイトス

「万物流転」に通じるものがある。

 

一瞬の出来事も、

その背後には永遠の流れが存在する。

 

流れ星が空を横切る一瞬は、

宇宙的時間の中では

無に等しい短さだが、

その一瞬に人間の願いが

込められることで、刹那が永遠に変わる。

 

少年: 
でも、願い事って

本当に叶うのかな?

 

願いを込めるだけで

何かが変わるようには思えないけど。

 

メロディウス: 
願いそのものが叶うか

どうかは重要ではない。

 

願うという行為は、

未来に対する希望を形にすることで、

今この瞬間に

生きる意味を与えてくれる。

 

人間は刹那の中に

無限を見いだすことができる存在なのだ。

 

この歌詞が伝えているのは、

そうした「希望」という

哲学的な態度ではないだろうか。


 

第2章 奇跡の意味 - 日常の中の非日常

少年: 
「すべてがみんな

奇跡のように思えて泣けるの」

という部分が心に刺さるよ。

 

どうしてささやかな出来事が

奇跡だと感じられるんだろう?

 

メロディウス: 
この感覚は、

哲学者ガブリエル・マルセル

「存在の驚き」に似ている。

 

日常の一瞬一瞬に奇跡を見出すことは、

人間が「ただ存在する」ことへの

感謝を覚える瞬間だ。

 

人間関係においても、

偶然の積み重ねによって

出会いが生まれ、

それが特別な絆に育っていく。

 

こうしたプロセスは、

合理的に説明しようとしても

全容を理解することができない。

 

少年: 
確かに、誰かと出会って

その人と親しくなるなんて、

考えれば考えるほど不思議だよね。

 

そういう奇跡って、

やっぱり運命とかで

決まっているのかな?

 

メロディウス: 
それは議論の余地があるな。

 

「運命」という概念に依存せずとも、

奇跡としての出会いを認識できる。

 

それは、君がその出来事を

特別なものとして受け入れるか

どうかにかかっている。

 

例えば、星空を見上げて

美しいと感じるのは、

それを美しいと思う心があるからだ。

 

同様に、関係性を奇跡と見るのは、

君の主観的な意識が

その価値を作り出している。


 

第3章 永遠と時間の哲学

少年: 
歌詞の中で、

「それは永遠の Days of Love」

と歌っているけど、

永遠って実際には

どういうことなんだろう?

 

だって、時間はどんどん過ぎていくのに。

 

メロディウス: 
永遠とは、時間の長さのことではない。

 

それはむしろ、

今この瞬間が無限の

価値を持つという感覚だ。

 

哲学者カール・ヤスパース

「境遇的時間」と

「永遠の現在」という

概念を区別した。

 

君が大切な人と過ごしている瞬間、

それは時間の流れを超越した

「永遠の現在」として感覚される。

 

歌詞が伝えたいのは、

そのような時間の質的変容ではないだろうか。

 

少年: 
じゃあ、僕たちが誰かと

過ごす毎日が、

永遠と繋がっているということ?

 

メロディウス: 
その通りだ。

永遠はどこか遠くにあるものではなく、

君が今この瞬間に

深く存在することで現れる。

 

歌詞の中の

「小さな時を重ねながら」という表現は、

そのことを象徴している。

 

時間は過ぎ去るものだが、

愛や喜びと共に過ごした瞬間は永遠に刻まれる。


 

結論

少年: 
今日の話で、

この歌詞がただのラブソングじゃなくて、

生きることや時間、

奇跡について教えてくれる

歌だって分かったよ。

 

特別な出来事じゃなくても、

毎日が奇跡の連続なんだね。

 

メロディウス: 
その気づきこそが、

この歌詞が目指している到達点だと思う。

 

何気ない日常の中に

「永遠の愛」を見つけるということ。

 

それは哲学的な

「生の賛美」にも通じる。

 

少年よ、これからも流れ星を見たら、

刹那の中に無限を探し続けてほしい。


【歌詞考察】DECO*27/モニタリング ft. 初音ミク この曲の意味とは?MWAHという言葉を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

DECO*27
モニタリング feat. 初音ミク

について哲学的に考察していく。


 

DECO*27「モニタリング feat. 初音ミク」MV

www.youtube.com

 

モニタリングの歌詞

ねえあたし知ってるよ
きみがひとり"XX”してるの
知ってるよ
ビクンビクン震えてさ 
声もダダ漏れなんだわ
正直に言っちゃえよ
バレてるんだし言っちゃえよ
効いてんの?
普通普通 恥ずかしい?
みんな隠しているだけ
ねえあたし知ってるよ
きみがひとり“涙”してるの
知ってるよ
グスングスン凹んでさ
弱音ヒトカラ in the night
朝が来るまで一緒コース
もっと泣いたって
何度だって受け止めてあげる
もう我慢しないで
いっぱい出してね
MWAH!
お願い きみが欲しいの
慰めさせてシェイクシェイク 
愛の才能で泣いてくれなきゃ
涸れてしまう濡れていたい
ねえいいでしょう?
舐め取って
飲み干したいんだってば
MWAH!
お願い きみが欲しいの
頼り散らしてシックラブなんて
最高ね
分けてくれなきゃ
君の“痛い”感じていたい
ねえいいでしょう?
吸い取って
救いたいんだってば
見たいのきみの中
ねえあたし知ってるよ
きみがひとり悔しがってんの
知ってるよ
ズキュンズキュン
高まるじゃん 
きみを推すことをやめない
ねえあたし知ってるよ
きみはできる子 知ってるよ
つらい時は弱いくらいで
丁度いい 
あたしそれでも好きだよ
MWAH!
お願い きみが欲しいの
名前を呼んでよ
いつだって会いに参上
きみはひとりだ 
だから歌う「ひとりじゃない」
もういいでしょう
ソロプレイは
お仕舞いなんだってば
きみが病めるときも
あたし側にいるわ
いつも見守っているわ 
そうよ怖くないのよ
MWAH!
お願い きみが欲しいの
慰めさせてシェイクシェイク 
愛の才能で泣いてくれなきゃ
涸れてしまう濡れていたい
ねえいいでしょう?
舐め取って
飲み干したいんだってば
MWAH!
お願い きみが欲しいの
慰めさせてシェイクシェイク 
愛の才能で泣いてくれなきゃ
涸れてしまう濡れていたい
ねえいいでしょう? 
舐め取って
飲み干したいんだってば
MWAH!
お願い きみが欲しいの
頼り散らしてシックラブ 
なんて最高ね
分けてくれなきゃ
君の“痛い”感じていたい
覗いていたい
吸い取って
救いたいんだってば
ねえあたし知ってるよ
きみがひとり“涙”してるの
知ってるよ
グスングスン凹んでさ
弱音ヒトカラ in the night
朝が来るまで一緒コース 
もっと泣いたって
何度だって
受け止めてあげる
もう我慢しないで
出してってば
さあ


序論

少年:

「メロディウス先生、

この歌詞を読むと、すごく直接的で、

でもどこか優しさも感じるんです。

 

まるで相手の痛みや

孤独を全て見透かして、

それでも受け止めるよって言ってるみたいで…。」

 

メロディウス:

「そうだね、少年。

 

この歌詞は、

一見すると感情を過剰に

露わにしているように見えるが、

そこには深い哲学的なテーマが

潜んでいるようだ。

 

特に『孤独』や『共感』、

『痛みの共有』といった

人間存在の根本的な問いを感じ取れる。」

 

少年: 「じゃあ、まずは

そのテーマごとに分けて考えてみましょうか!」


 

第1章 孤独の本質とその肯定

メロディウス:

「冒頭から語られているのは、

相手の“ひとり”の状態に対する

鋭い観察だね。

 

『ねえあたし知ってるよ

きみがひとり”涙”してるの知ってるよ』

という部分に、

孤独を見逃さない視点が表れている。」

 

少年:

「たしかに。『ひとり』って、

普通は寂しいものとして語られますけど、

ここではその孤独を否定するんじゃなくて、

むしろその存在を見つけ出して、

寄り添おうとしてますよね。」

 

メロディウス:

「その通りだ。

 

孤独は哲学においても

しばしば扱われるテーマだが、

この歌詞では、

孤独は恥じるべきものではなく、

むしろ“誰もが隠している”という

普遍性を持つものとして描かれている。

 

そして、

それを受け止めようとする姿勢は、

まさに他者とのつながりの象徴だ。」

 

少年:

「じゃあ、孤独を否定せず肯定することで、

人は本当の意味で

つながれるってことなんでしょうか?」

 

メロディウス:

「そうだね。

それは、サルトルの『存在と無』で

語られる“他者のまなざし”にも通じる。

 

孤独は他者を意識することで際立つが、

同時にその孤独を共有することで、

新たな存在意義が生まれるんだ。」


 

第2章 痛みの共有と感情の解放

少年:

「次に気になったのは、

『もっと泣いたって

何度だって受け止めてあげる』

という部分です。

 

痛みを共有することって、

どういう意味があるんでしょうか?」

 

メロディウス:

「これは、『他者に痛みを打ち明ける』

という行為が、

人間関係の本質に関わることを示している。

 

ライナスの毛布のように、

人はしばしば心の痛みを隠そうとするが、

それを共有することで

初めて癒しが訪れるのだ。」

 

少年:

「でも、痛みを見せるって

恥ずかしいことでもありますよね…。

 

歌詞の中でも、

『普通普通 恥ずかしい?』

って問いかけてます。」

 

メロディウス:

「恥じる感情は防衛本能の一種だ。

 

しかし、ここで語られる

“泣いてもいい”というメッセージは、

人間が弱さを見せることで

真の自己を開示し、

それを通じて他者と深く結びつく

可能性を肯定しているのだろう。」

 

少年:

「それって、あたかも

“痛みを共有することが強さになる”

ってことですね。」

 

メロディウス:

「そうだ。

トルストイの言葉に

『幸福な家庭は皆似通っているが、

不幸な家庭はそれぞれに不幸である』

というものがあるね。

 

しかし、この歌詞では、

不幸や痛みを隠さず分かち合うことで、

新たな形の幸福を

生み出そうとしているように見える。」


 

第3章 愛と共感の哲学

少年:

「それにしても、

『きみが欲しい』って

何度も繰り返されているのが印象的です。

 

これはただの執着じゃないんでしょうか?」

 

メロディウス:

「ここでの『欲しい』は、

エゴイズムではなく、

むしろ他者の存在を

全て受け入れたいという

強い共感を表しているのではないかな。

 

相手の“涙”も“痛み”も、

そのまま受け止めようとする姿勢には、

サルトル的な

“アンガジュマン(関与)”の

哲学が感じられる。」

 

少年:

「他者に関与することで、

自分自身も変わっていく…

ということでしょうか?」

 

メロディウス:

「その通り。

相手を知り、受け止めることで、

私たちは自己の枠を広げることができる。

 

これは、他者を鏡として

自己を認識する過程でもあるんだ。

 

歌詞の中で、『もう我慢しないで』

と繰り返されているのも、

そうした共感の哲学を象徴しているのだろう。」

 

少年:

「じゃあ、この『MWAH!』

っていうフレーズも、

単なる甘い言葉じゃなくて、

共感の結晶みたいなものなんですね!」


 

結論 共感が生む新たな関係性

メロディウス:

「この歌詞は、孤独、痛み、愛

といった人間の

根源的なテーマを描きながら、

それらを否定せずに肯定し、

共感の力によって

新たな関係性を築こうとする

メッセージが込められているようだね。」

 

少年:

「つまり、この歌詞の核心は

『ひとりじゃない』ってことを

伝えることなんですね。

 

弱さを認め合うことで、

より深い繋がりを築けるっていう…。」

 

メロディウス:

「そうだね。

孤独や痛みを見つめ、

それを分かち合うことによって

生まれる新たなつながり。

 

それこそが、

この歌詞の哲学的な価値だろう。

歌詞全体を貫く“愛”とは、

単なるロマンティックなものではなく、

深い共感と理解の象徴なのだ。」


【歌詞考察】Ado/Episode X この曲の意味とは?劇場版ドクターXの主題歌!配信前の冒頭から続きの歌詞がどうなるのか哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

Ado
Episode X

について哲学的に考察していく。


 

Ado「Episode X」PV

www.youtube.com


Episode Xの歌詞

※冒頭のみ、Up次第追加します

誰にも采配の権利など
無い無い無い
駆けるこの世界を
涙飲む日があろうとも
無駄な瞬間は一つとして無い
掬い取った僅かな望みを
掴み切って
何度でも繋ぎ合わせる
そうやってここまで来たんだ
あなたあなたと共に
何度だって颯爽と 
coming back
あんなこんな難題もクリア
そう私を呼声があれば
どんなステージでも構わない
何度だって堂々と 
show you now
あんなこんな強敵も撃破
嗚呼 何回だって唱えるさ
そう 私に失敗はない


 

リリースまでの考察

少年:

メロディウス、

この歌詞には強い意思を感じるよ。

 

「誰にも采配の権利など無い」

という出だしからして、

自分の人生は自分が切り拓くものだと

言っているように聞こえるんだ。

 

メロディウス:

そうだな、少年。

「采配」とは通常、

他者が与える指揮権のことだ。

 

だが、この歌詞では、

その権利すら無いと断言している。

 

つまり、自分の生きる意味や

価値を他人に預けるのではなく、

完全に自分自身で握っていることの表明だ。

 

これはある種、存在論的な

独立宣言と言えるかもしれないな。

 

少年:

でも、「涙飲む日があろうとも

無駄な瞬間は一つとして無い」

とも言っている。

 

挫折や苦しみも、

意味のあるものだと考えているんだね。

 

これってどういうことなんだろう?

 

メロディウス:

苦しみは無意味だという考えは、

往々にしてその瞬間の価値を否定するだろう。

 

だが、この歌詞は

それを否定するどころか、

全ての瞬間が繋がり合い、

未来へと意味を作り出す

過程の一部だと捉えている。

 

「掬い取った僅かな望み」を

「繋ぎ合わせる」とあるように、

断片的な希望すらも活用し、

自己を再構築していく意思の表明だ。

 

ニーチェの「永劫回帰」の

思想に近いとも言えるな。


 

少年:

じゃあ、この「何度でも繋ぎ合わせる」

って部分は、

その自己再構築の繰り返しを指しているの?

 

メロディウス:

そうだ。そして、

「あなたあなたと共に」という

一節を見ると、

この再構築の旅路には

他者の存在が深く

関わっていることも明らかだ。

 

自己の成長は孤立したものではなく、

他者との共鳴や共存によって

補完されるものだと言える。

 

ここに人間の社会的な本質も感じられるな。

 

少年:

「何度だって颯爽と coming back」も、

失敗を恐れない精神を感じるよ。

 

「私に失敗はない」っていうのも

すごく強い言葉だね。

 

でも、本当に失敗なんて無いのかな?

 

メロディウス:

ここでの「失敗はない」という言葉は、

失敗という概念自体を

新たに定義しているように思える。

 

失敗という出来事そのものが

人生の一部であり、

それが最終的には自己の成長や

目標達成に資するものとして

受け入れられるなら、

それはもはや失敗ではない。

 

むしろ、すべてが「成功」への

プロセスになる。

 

これはストア派

「アモール・ファティ(運命愛)」

にも通じる考え方だ。


 

少年:

哲学的に深いなあ…。

ところで、この歌の続きは

どんな展開になると思う?

 

メロディウス:

この冒頭の歌詞からすると、

歌全体は「挑戦」と「自己超越」を

テーマに進む可能性が高い。

 

これまでの困難や痛みを経て

得た力をさらに発揮し、

新たなステージに進む姿が描かれるだろう。

 

「どんなステージでも構わない」

という部分からして、

舞台が変わることも恐れず、

むしろ楽しみにしている印象だ。

 

そして、歌の最後にはきっと、

他者と共に未来へ進む

希望や絆が強調されるだろうな。

 

少年: 僕たちの対話みたいに?

 

メロディウス:

そうかもしれないな。

 

歌詞の主人公も、

君のような問いかけを通じて

自分を深く掘り下げ、

さらなる強さを得るのかもしれない。

 

少年:

12月6日の映画公開が楽しみだな!

この歌を聴いて、また話そうよ。

 

メロディウス:

ああ、楽しみだ。

次の対話では、この歌を聴いた後の

感想を語り合おう。

 

音楽がどんな真理を語るか、

共に見届けようではないか。


【歌詞考察】SHOSEI(大平祥生JO1)/Melak(メラク) この曲の意味とは?恋愛オリジナルソングをセルフプロデュース!哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

SHOSEI(JO1)
Melak

について哲学的に考察していく。


 

SHOSEI(JO1)「Melak」MV

www.youtube.com


Melakの歌詞

始まった恋の Story
主人公は僕ら二人さ
止まらないこの想い
増えていくんだ
無邪気なその笑顔
全てが僕のタカラモノ
今すぐ駆けて行くから待ってて
空に溢れる言葉
掻き集め紡いでいく
僕がいる未来に
君がいてほしいんだ
この先も
君と出会ったこの季節は
光り輝き色づいてく
特別なものは何もいらない
ただ傍にいてほしいんだ
大袈裟でも嘘じゃないから
君に捧げて愛を唄おう
どんな時も2人で生きていこう
僕らの Love Story
晴れ渡る帰り道
横には君がいて
些細なことや仕草に
惚れていくんだ
つまずいちゃうそんな日々も
笑いあって過ごしてみよう
着飾らない愛をただ伝えよう
言葉なく過ぎる日も
2人の大切な日で僕がいる未来に
君がいてほしいんだ
この先も
君と出会ったこの季節は
光り輝き色づいてく
特別なものは何もいらない
ただ傍にいてほしいんだ
大袈裟でも嘘じゃないから
君に捧げて愛を唄おう
どんな時も2人で生きていこう
僕らの Love Story
過ぎ行く日々
傷つきココロ壊れたとしても
僕が傍にいるから
君が泣いている時にはほら
そっと抱きしめて離さないから
特別なものは何もいらない
ただ傍にいたいから
君と出会ったこの季節は
光り輝き色づいてく
どんな時も2人で生きていこう
僕らの Love Song
どんな時も2人で生きていこう
僕らの Love Story


序論

少年
「メロディウス、この歌詞には

“僕らのLove Story”と

何度も繰り返されているけれど、

それってどういう意味なんだろう?

 

“Love Story”って

僕たちの人生の一部なのかな?」


 

メロディウス
「良い問いだ、少年。

 

‘Love Story’とは単なる恋愛を超えた

互いに影響し合う人生の物語だ。

 

愛は人間に深い感情を引き起こし、

存在の意義を問い直させる。

 

それはただの出来事ではなく、

生きる中で紡がれるストーリーなのだよ。」


 

第1章 恋愛と人生の主人公

少年
「歌詞の中で、

‘主人公は僕ら二人さ’って

書いてあるけど、

二人が主人公ってどういうこと?

 

普通、物語には一人の

主人公がいるはずだよね?」

 

メロディウス
「鋭い観察だ、少年。

この部分は恋愛の本質を

よく表している。

 

恋愛は一人の物語ではなく、

二人の物語が重なり合って

新たなストーリーを紡ぐものだ。

 

主人公が二人というのは、

どちらか一方の視点だけでなく、

互いの視点が等しく

尊重されるという意味でもある。」

 

少年
「なるほど、

だから“止まらないこの想い”が

“増えていく”んだね。

 

二人で一緒に感じるから、

一人では得られない

深さや広がりが生まれるんだ。」

 

メロディウス
「その通り。

だが、この“二人の主人公”は責任も伴う。

 

二人の物語を進める中で、

互いにどう影響し合い、

どのような選択をするかが重要になる。」


 

第2章 愛の無邪気さとその複雑性

少年
「‘無邪気なその笑顔’

とか‘全てが僕のタカラモノ’って

書いてあるけど、

愛ってこんなに純粋なものなのかな?

 

なんだか理想化されすぎてる気もする。」

 

メロディウス
「良い指摘だ、少年。

この歌詞は理想化された

愛の一面を描いている。

 

しかし、無邪気さというのは、

愛の一側面にすぎない。

 

実際には、愛は複雑で時に

矛盾を含む感情だ。

 

愛する者の笑顔は宝物でありながら、

その笑顔を守る責任や

不安も同時に生まれる。」

 

少年
「じゃあ、‘ただ傍にいてほしいんだ’

っていうのも、純粋な願いだけど、

そこには独占欲とか

不安も隠れてるのかな?」

 

メロディウス
「その通り。

 

‘ただ傍に’という言葉には、

一見シンプルな願いが込められているが、

その背後には愛する者を失う恐れや、

相手との深い結びつきを求める渇望がある。

 

無邪気さの中には、

愛の複雑性が潜んでいるのだ。」


 

第3章 愛と時間の関係

少年
「歌詞の中に‘君と出会った

この季節は光り輝き色づいてく’

ってあるけど、

どうして愛と季節が

結びついているんだろう?」

 

メロディウス
「興味深い問いだ、少年。

季節は時間の象徴だ。

 

そして、時間は愛の本質を

理解する鍵でもある。

 

愛は瞬間的な感情であると同時に、

時間を超えて続く関係でもある。

 

この歌詞では、出会いの瞬間が

特別な時間として記憶され、

季節の移ろいとともに

愛が育まれていく様子が描かれている。」

 

少年
「でも、時間が経つと愛は

変わっていくこともあるよね。

 

どうやってその変化に

向き合えばいいんだろう?」

 

メロディウス
「重要なのは、変化を否定せず、

それを受け入れることだ。

 

愛は形を変えながら成長する。

 

初めは情熱的で鮮やかだった愛も、

やがて穏やかで深い絆に変わることがある。

 

その過程を二人で楽しむことが、

愛の持続性を支えるのだ。」


 

結論 僕らのLove Storyの意味

少年
「歌詞の最後に

‘どんな時も2人で生きていこう’

って書いてあるけど、

本当にどんな時も一緒にいられるのかな?

 

現実では難しいことも多いよね。」

 

メロディウス
「確かに、現実には困難がある。

 

だが、この歌詞が伝えたいのは、

‘物理的にいつも一緒にいる’

ということではなく、

‘心の中で互いを支え合う’という意味だ。

 

愛とは相手の存在を通じて、

自分自身を見つめ直し、

成長する旅路なのだ。

 

そして、それが

‘僕らのLove Story’なのだよ。」

 

少年
「愛って、ただの感情じゃなくて、

物語そのものなんだね。

 

僕もいつか、

そんな物語を紡いでみたいな。」

 

メロディウス
「君はすでにその物語を生き始めている。

 

愛とは、日々の中にある

些細な気づきや感謝から始まるものだ。

 

それを大切にしていけば、

君のLove Storyは

必ず素晴らしいものになるだろう。」

 

穏やかな風が再び歌詞を揺らし、

二人の間に静かな充足感が満ちた。

 

それは、愛が持つ普遍的な力を

再確認するひとときだった。